BUCK-TICKのボーカル櫻井敦司さん。
ヴィジュアル界で圧倒的なカリスマ性を持ち、美しい容姿からも大人気だった櫻井敦司さん。
そんな櫻井さんは、少年時代は大変苦労されたそうで、壮絶な生活だったそうなんです。
そこで今回はBUCK-TICKのボーカル櫻井敦司さんがどんな生い立ちだったのかを調査しました。
櫻井敦司のプロフィール
- 名前:櫻井敦司(さくらい あつし)
- 生年月日:1966年3月7日
- 出身地:群馬県藤岡市
- 血液型:O型
- 身長:177㎝
- 学歴:群馬県立藤岡高等学校
- 職業:ボーカリスト・作詞家
- 死没:2023年10月19日(57歳)
- 同じ高校の今井寿さん(ギター)と出会う
- 今井さんの実家のたばこ屋で星野英彦さん(ギター)、樋口豊さん(ベース)と出会う
- BUCK-TICKの前進バンド「避難GO-GO」の結成
- その後、ヤガミトールさん(ドラム)が加わり今の「BUCK-TICK」になる
- 1987年11月メジャーデビュー
華々しくデビューに至った櫻井さんですが、
少年時代は家庭環境に問題があり壮絶だったと話していました。
一体どんな経験をされたのでしょうか?
櫻井敦司の少年時代は父親からの暴力の日々
櫻井さんは子供の頃実の父親から暴力を振るわれていたそうです。
母親も父親から暴力を受けていて、櫻井さんは父に対してかなり恐怖心を持っていたということです。
そのため少年時代は父親からの暴力を避けるため「静かに過ごす」ことに徹底していたといいます。
両親の愛情をいっぱい受けたい時期にこんな辛い経験をされていたんですね。
高校時代
高校生になって体格も良くなった櫻井さんは、
「父親を殴ってやろう」
と思ったそうです。
しかし、父親を殴る事で
「家庭がすべて壊れてしまうんじゃないか」
と思い、常に葛藤を抱えながらの日々だったといいます。
とても複雑な家庭環境だったことが分かりますね。
サンタは来ない
Mステでタモリさんに
「クリスマスのサンタは信じていたの?」という質問に
「俺はもう、家庭がそういう感じじゃなかったから信じなかったです」
と答えていました。
背景を知っている人は、聞いていて辛くなってしまいますね。
ですが、テレビで包み隠さず話す櫻井さんの人間的なすごさを感じてしまいます。
両親の死
そんな父親は櫻井さんが上京した前後の18歳の時に亡くなっています。
また母親もBUCK-TICKがブレイクした時の24歳の時に亡くなっています。
ご両親の死は事故か病気という情報があります。
BUCK-TICKでの活躍の裏にこんなに辛い経験をされていたのですね。
兄との確執で絶縁関係
櫻井敦司さんにはお兄さんが一人います。
父親が亡くなった後に家族を支えていたのはお兄さんだったそうです。
そのころ櫻井さんはバンドに夢中になり、家庭の事はお兄さんに任せっきりになってしまい、亀裂が生じて絶縁関係になってしまいました。
ですが10年後に和解して「笑っていいとも」に出演した際は、
お兄さんから大きな花束が届きました。
お兄さんもBUCK-TICKの活躍を喜んでいたのではないでしょうか!
唯一の家族であるお兄さんですから和解できて本当に良かったと思います。
櫻井敦司は人格者!
こんな辛い経験をされた櫻井さんですが、インタビューの中で
「孤独は強さであり、孤独を好きと言えるようになった」
と話していました。
悲しみを人一倍抱えながら生きていた櫻井さんだからこそ、誰に対しても優しく謙虚でいられるのかもしれませんね。
まさに櫻井さんは人格者と言えるのではないでしょうか。
このカリスマ性は過去の櫻井さんから作られたものなのかもしれませんね。
まとめ
今回は伝説的バンドBUCK-TICKのボーカル・櫻井敦司さんの生い立ちについて調べました。
活躍の裏には様々な辛い経験をされていた事が分かりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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